結び — タットヴァ・ボーダ
詩節 54–55 / 目次へ
54. 輪廻を渡りきる
こうして、真我を知る者は、
輪廻を渡りきり、
ブラフマンの至福を、
ほかならぬこの生のうちに得る
「真我を知る者は、悲しみを越える」
という聖典の言葉のとおりである
聖地カーシーで身を捨てようと、
犬を食らう者の家で身を捨てようと、
それは変わらない
知を得たその時に、
その人はすでに解脱しており、
心に積もった澱もまた消えている
聖伝も、このように伝えている
原文(デーヴァナーガリー・IAST)
तथा चात्मवित्संसारं तीर्त्वा ब्रह्मानन्दमिहैव प्राप्नोति ।
तरति शोकमात्मवित् इति श्रुतेः ।
तनुं त्यजतु वा काश्यां श्वपचस्य गृहेऽथ वा ।
ज्ञानसंप्राप्तिसमये मुक्तोऽसौ विगताशयः इति स्मृतेश्च ।
tathā cātmavit saṃsāraṃ tīrtvā brahmānandamihaiva prāpnoti ।
tarati śokam ātmavit iti śruteḥ ।
tanuṃ tyajatu vā kāśyāṃ śvapacasya gṛhe 'tha vā ।
jñānasaṃprāptisamaye mukto 'sau vigatāśayaḥ iti smṛteśca ।
解説
カルマの三分類の決着を受けて、本書の結論が告げられる。真我を知る者は、輪廻を渡りきり、ブラフマンの至福を、死後ではなく、ほかならぬこの生のうちに得る。
続いて引かれる聖伝の言葉が、この「いま、ここ」をさらに際立たせる。聖地で死のうと、最も賤しいとされる者の家で死のうと、その違いは解脱に関わらない。知を得たその瞬間に、その人はすでに解脱しており、心の奥に積もった澱も消えているという。
「真我を知る者は、悲しみを越える」という句は、チャーンドーギヤ・ウパニシャッドで、あらゆる学問を修めてなお悲しみの内にあった求道者に告げられた言葉として伝わる。知識の多さではなく、真我の知だけが悲しみの向こう岸へ渡す。本書が結びにこの句を置くのは、その消息を一行に要約するためである。
どこで、どのように死ぬかという外の条件ではなく、知が生じたかどうかだけが解脱を決める。身体と鞘を退け、真我の本性を見きわめ、個我とイーシュヴァラの不二を聞きとどけてきた本書の歩みは、この一点に行き着く。
55. 結語
ここに、真理の覚知は終わる。
原文(デーヴァナーガリー・IAST)
इति तत्त्वबोधः ।
iti tattvabodhaḥ ।
解説
結びの一句である。身体と鞘を一つずつ退け、世界の成り立ちを数え上げ、個我とイーシュヴァラの不二に至った歩みのすべてが、「真理の覚知」という書名に収められて、書は閉じられる。
冒頭で本書は、資格ある者のために真理の見分け方を述べる、と約束していた。その約束が果たされたことを、この短い一句が静かに告げている。問いと答えの連なりだけで組み立てられたこの小さな書は、読む者が同じ問いを自分自身に向けたとき、はじめて書名のとおりのものになる。