非二元堂

第三章 三つの状態 — タットヴァ・ボーダ

詩節 18–21 / 目次へ

18. 三つの状態

三つの状態とは何か

覚醒・夢・熟睡の三つの状態である

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

अवस्थात्रयं किम् ।
जाग्रत्स्वप्नसुषुप्त्यवस्थास्तिस्रोऽवस्थाः ।

avasthātrayaṃ kim ।
jāgratsvapnasuṣuptyavasthāstisro'vasthāḥ ।

解説

ここから、自己が経験する「三つの状態(アヴァスター・トラヤ」へ目が移る。

覚醒・夢・熟睡の三つである。人は一日のうちにこの三つを行き来するが、どの状態でも「私は在る」という手応えは途切れない。

三つの身体の分析が「私」をいわば空間の側から、外側の層から内側の層へとたどったとすれば、状態の分析は、同じ「私」を時間の側から、一日の循環に沿ってたどり直すものである。覚醒だけを基準に「私」を考える習慣に対して、夢と熟睡を同じ資格で並べるところに、この分析の眼目がある。

自己を三つの状態から調べるこの方法は、ウパニシャッドの伝統に古くから伝わる。それを三つの身体と対応づけて一枚の見取り図に収める整理は、その後のヴェーダーンタが磨き上げたもので、本書はその簡潔な完成形を示している。

移り変わる三つの状態と、それを貫いて変わらないものとを切り分けるための、足場がここで据えられる。

19. 覚醒の状態

覚醒の状態とは何か

耳をはじめとする知覚器官によって、
音などの対象が知られる、
それが覚醒の状態である

このとき、粗大な身体を「私」と思い込む自己は、
ヴィシュヴァと呼ばれる

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

जाग्रदवस्था का ।
श्रोत्रादिज्ञानेन्द्रियैः शब्दादिविषयो ज्ञायत इति यत् तत् जाग्रदवस्था ।
स्थूलशरीरैतदवस्थाभिमान्यात्मा विश्व इत्युच्यते ।

jāgradavasthā kā ।
śrotrādijñānendriyaiḥ śabdādiviṣayo jñāyata iti yat tat jāgradavasthā ।
sthūlaśarīraitadavasthābhimānyātmā viśva ityucyate ।

解説

三つの状態の最初、覚醒が定義される。

覚醒(ジャーグラット)とは、耳や目などの知覚器官を通じて、音や形といった外の対象が知られている状態を指す。

ふだん私たちは、覚醒だけを現実と呼び、ほかの二つをその付け足しと見なしている。しかし本書の数え方では、覚醒もまた三つの状態の一つにすぎない。知覚器官が対象に向かって開いている、という条件つきの状態であり、眠りに入れば、その条件ごと消える。

このとき、粗大な身体を「私」と思い込んで世界と関わる自己が、ヴィシュヴァと呼ばれる。同じ一つの自己が、状態に応じて異なる名で呼ばれていく。覚醒における名が、ヴィシュヴァである。名が状態ごとに変わるのは、「私」と思い込む相手が変わるからであり、名を与えられている自己そのものは変わらない。

20. 夢の状態

夢の状態とは何か

覚醒のときに見たり聞いたりしたことが
残した潜在印象によって、
眠りのあいだに立ち現れる世界の現れ、
それが夢の状態である

このとき、微細な身体を「私」と思い込む自己は、
タイジャサと呼ばれる

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

स्वप्नावस्था का ।
जाग्रदवस्थायां यदृष्टं यच्छ्रुतं तज्जनितवासनया निद्रासमये या प्रपञ्चप्रतीतिः सा स्वप्नावस्था ।
सूक्ष्मशरीरैतदवस्थाभिमान्यात्मा तैजस इत्युच्यते ।

svapnāvasthā kā ।
jāgradavasthāyāṃ yadṛṣṭaṃ yacchrutaṃ tajjanitavāsanayā nidrāsamaye yā prapañcapratītiḥ sā svapnāvasthā ।
sūkṣmaśarīraitadavasthābhimānyātmā taijasa ityucyate ।

解説

二つめの状態、夢が定義される。

夢(スヴァプナ)とは、覚醒のときに見聞きしたことが心に残した潜在印象から、眠りのあいだに立ち上がる世界の現れである。外の対象がなくても、心は内側だけで一つの世界を描き出す。

このとき、微細な身体を「私」と思い込む自己が、タイジャサと呼ばれる。覚醒の世界が消えても経験そのものは途切れない、という点に、この状態の意味がある。

夢は、覚醒で仕入れた材料の再構成でありながら、見ているあいだは一つの完結した世界として経験される。外の対象という支えがなくても世界の経験が成り立つというこの事実は、経験を成り立たせているのは対象そのものではなく、心の現れと、それを知っている意識である、という示唆を含んでいる。

21. 熟睡の状態

熟睡の状態とは何か

「私は何も知らなかった、心地よく眠っていた」と、
のちに思い返すような、あの状態である

このとき、原因の身体を「私」と思い込む自己は、
プラージュニャと呼ばれる

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

सुषुप्त्यवस्था का ।
अहं किमपि न जानामि सुखेन मया निद्रानुभूयत इति यत् तत् सुषुप्त्यवस्था ।
एतदवस्थाकारणशरीराभिमान्यात्मा प्राज्ञ इत्युच्यते ।

suṣuptyavasthā kā ।
ahaṃ kimapi na jānāmi sukhena mayā nidrānubhūyata iti yat tat suṣuptyavasthā ।
etadavasthākāraṇaśarīrābhimānyātmā prājña ityucyate ।

解説

三つめの状態、熟睡が定義される。

熟睡(スシュプティ)とは、目覚めたのちに「私は何も知らなかった、心地よく眠っていた」と思い返される、あの状態である。対象も、対象を描く心の動きもないが、まったくの空白ではない。「心地よかった」と後で言えるのは、その間も自己が在り続けた証である。

このとき、原因の身体を「私」とする自己が、プラージュニャと呼ばれる。

これで三つの状態が出そろった。世界が外に開かれる覚醒、内に描かれる夢、どちらの世界も畳まれる熟睡。状態は入れ替わり、そのたびに「私」の名も変わるが、三つを通り抜けて見とどけているものは入れ替わらない。この見とどける者を手がかりに、探究は先へ進む。