非二元堂

第一章 四つの備え — タットヴァ・ボーダ

詩節 1–11 / 目次へ

1. 主題の宣言

四つの備えを具えた資格ある者のために、
解脱の手立てとなる真理の見分け方を、
これから述べよう

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

साधनचतुष्टयसम्पन्नाधिकारिणां मोक्षसाधनाङ्गभूतं तत्त्वविवेकप्रकारं वक्ष्यामः ।

sādhanacatuṣṭayasampannādhikāriṇāṃ mokṣasādhanāṅgabhūtaṃ tattvavivekaprakāraṃ vakṣyāmaḥ ।

解説

序の詩節に続いて、本書の対象読者と主題を一文で宣言する。宛先は「四つの備え」を具えた者である。古典の伝統では、教えは誰にでも同じように届くものではなく、受け取る側の準備が整ってはじめて働くと考えられた。その準備の目録がこの「四つの備え」であり、探究の入り口に置かれた資格の条件である。

資格といっても、生まれや身分のことではない。問われているのは、受け取る側の心がどれだけ調っているかだけである。同じ言葉を聞いても、心が騒がしいままでは観念の収集に終わり、調った心には、同じ言葉が見極めとして働く。

ここで説かれる「真理の見分け方」は、それ自体が解脱の手立ての一部をなすとされる。儀礼や苦行の積み重ねが解脱をもたらすのではなく、知ることが、そのまま自由への道筋になるという本書の立場が、この短い宣言にすでに表れている。

2. 四つの備え

四つの備えとは何か

永遠なるものと永遠ならざるものを見分けること

この世とあの世での果報の享受から離れること

心の制御をはじめとする六つの徳

そして、解脱を願い求めること

この四つである

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

साधनचतुष्टयं किम् ।
नित्यानित्यवस्तुविवेकः ।
इहामुत्रार्थफलभोगविरागः ।
शमादिषट्कसम्पत्तिः ।
मुमुक्षुत्वं चेति ॥
१ ॥

sādhanacatuṣṭayaṃ kim ।
nityānityavastuvivekaḥ ।
ihāmutrārthaphalabhogavirāgaḥ ।
śamādiṣaṭkasampattiḥ ।
mumukṣutvaṃ ceti ॥
1 ॥

解説

真理を見分ける探究に入る前に、求道者の側に調えておくべき四つの備え(サーダナ・チャトゥシュタヤ)が、ここで列挙される。

変わらないものと移ろうものとを取り違えない見分け、この世とあの世のどちらの楽しみにも心を奪われない離欲、心と感覚を整える六つの徳、そして解脱そのものを願う心。この四つである。

並び順には一つの流れが読み取れる。移ろうものは頼みにならないと見分けるからこそ、それへの欲が静まり、欲が静まるからこそ心は整えやすくなり、整った心の願いは、もはや移ろうものには向かわず、解脱そのものへ向かう。四つは別々の徳目というより、一つの成熟が四つの面から数えられたものに近い。

これらは覚えるべき知識ではなく、探究を実らせるために身に具わっていることが求められる素地として示される。以下、本書はこの目録を一つずつ取り上げて定義していく。

3. 永遠なるものの見分け

永遠なるものと 永遠ならざるものの見分けとは何か

永遠なる実在はただ一つ、ブラフマンである

それ以外のすべては永遠ならざるもの

こう見極めること、それがこの見分けである

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

नित्यानित्यवस्तुविवेकः कः ।
नित्यं वस्त्वेकं ब्रह्म तद्व्यतिरिक्तं सर्वमनित्यमयमेव नित्यानित्यवस्तुविवेकः ।

nityānityavastuvivekaḥ kaḥ ।
nityaṃ vastvekaṃ brahma tadvyatiriktaṃ sarvamanityamayameva nityānityavastuvivekaḥ ।

解説

四つの備えの最初、永遠なるものと永遠ならざるものの「見分け(ヴィヴェーカ」が、ここで定義される。

見分けの基準は単純である。時を超えて変わらないものはブラフマンただ一つで、それ以外は、形あるものも心に映るものも、天界の喜びさえも、すべて移ろい消えていく。基準が一つに絞られているからこそ、この見分けはどんな対象にもそのまま当てられる。目の前のものが何であれ、変わるのか、変わらないのか、それだけを問えばよい。

永遠ならざるものを永遠と思い込むかぎり、頼みにならないものに幸福を預けることになり、求める方向そのものが狂う。だからこの見分けが、探究全体の最初の土台に置かれる。

4. 離欲

この世とあの世での 果報の享受から離れる離欲とは何か

この世では、花輪や香、
異性の魅力といった楽しみに対して

あの世では、
天界で約束される快楽に対して

それらを欲しいと思う心がないこと、
それがこの離欲である

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

इहामुत्रार्थफलभोगविरागः कः ।
इह स्रक्चन्दनवनितादिषु ।
अमुत्र स्वर्गभोगेष्विच्छाराहित्यमेव ।

ihāmutrārthaphalabhogavirāgaḥ kaḥ ।
iha srakcandanavanitādiṣu ।
amutra svargabhogeṣvicchārāhityameva ।

解説

二つめの備えは、楽しみへの欲を手放すことである。

原文は、この世の楽しみの例として花輪や香、異性の魅力を挙げ、あの世の楽しみとして天界で約束される快楽を挙げる。離欲(ヴァイラーギャ)とは、それらを禁じたり嫌ったりすることではなく、欲しいという心の動きそのものがなくなることを指す。

この離欲は、直前の見分けと地続きである。移ろうものは頼みにならないと見極められたとき、それを追い求める熱は、抑え込むまでもなく冷めていく。見分けが目の働きだとすれば、離欲は、その見えたとおりに心が静まることである。

手前の楽しみだけでなく、死後に期待される報いまで含めて手放す点に、この備えの徹底がある。天界の快楽は、古典の世界では祭式が約束する最高の果報であった。それさえも移ろうものの側に数え入れるところに、解脱だけを目指す本書の照準が表れている。

5. 六つの徳

心の静まりをはじめとする 六つの徳とは何か

心の静まり、感覚器官の制御、退き、
忍耐、信、心の統一

この六つである

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

शमादिषट्कसम्पत्तिः का ।
शमो दम उपरतिस्तितिक्षा श्रद्धा समाधानं चेति ।

śamādiṣaṭkasampattiḥ kā ।
śamo dama uparatistitikṣā śraddhā samādhānaṃ ceti ।

解説

三つめの備えである六つの徳(シャット・サンパッティ)が、ここで名を挙げて示される。

心の静まり(シャマ)、感覚器官の制御(ダマ)、退き(ウパラティ)、忍耐(ティティクシャー)、信(シュラッダー)、心の統一(サマーダーナ)の六つである。はじめの二つが心と感覚を内へ収める働き、続く四つが、揺らがず探究にとどまるための支えとなる。

見分けと離欲が探究の方向を定めるものだとすれば、この六つは、定まった方向へ実際に歩き続けるための足腰にあたる。どれも特別な行ではなく、心の日々の使い方にかかわる徳である点に、この目録の実際的な性格がある。

本書はこのあと、六つを一つずつ短い問答で定義していく。

6. 心の静まりと感覚器官の制御

心の静まりとは何か

内に働く器官、すなわち心を抑えることである

感覚器官の制御とは何か

外に向かう感覚器官を抑えることである

退きとは何か

もろもろの対象から退き離れることにほかならない

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

शमः कः ।
अन्तरिन्द्रियनिग्रहः ।
दमः कः ।
बाह्येन्द्रियनिग्रहः ।
उपरतिः का ।
विषयेभ्य उपरमणमेव ।

śamaḥ kaḥ ।
antarindriyanigrahaḥ ।
damaḥ kaḥ ।
bāhyendriyanigrahaḥ ।
uparatiḥ kā ।
viṣayebhya uparamaṇameva ।

解説

六つの徳のうち、はじめの三つがここで定義される。

心の静まり(シャマ)とは、思いをめぐらし、迷い、決める内なる器官、すなわち心の波立ちを抑えることである。続く感覚器官の制御(ダマ)は、目や耳など外に向かう感覚器官を、その対象から引き戻すことを指す。内と外、二つの方向から騒がしさを収めることで、心は探究に向かう落ち着きを得る。

三つめの退き(ウパラティ)は、感覚器官を引き戻すだけでなく、対象そのものへ向かう心の動きが、もはや起こらなくなる状態を指す。前の二つが努力による制御であるとすれば、こちらはその制御が深まり、対象に心が向かわなくなった静けさに近い。

三つに共通するのは、何かを新しく身につけるのではなく、外へ流れ出ていた注意を内へ向け直す、という一点である。探究は心という道具で行われる。その道具を探究に使える状態に整えることが、この三つの徳の役割である。

7. 忍耐

忍耐とは何か

暑さ寒さをはじめとする、
さまざまな苦楽に耐え忍ぶことである

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

तितिक्षा का ।
शीतोष्णादिसहिष्णुत्वम् ।

titikṣā kā ।
śītoṣṇādisahiṣṇutvam ।

解説

四つめは、忍耐(ティティクシャー)である。

暑さ寒さをはじめ、身に訪れるさまざまな苦楽に、いちいち心を乱されず耐え忍ぶこと。境遇の揺れに反応して探究が途切れないための、心の強さを指す。

この忍耐は、歯を食いしばる我慢とは少し違う。暑さと寒さ、楽と苦のように、生きているかぎり対になって交互に訪れるものを、来るたびに大事件にせず、通り過ぎるものとして受け流す態度に近い。

外側の条件が整うのを待っていては、探究はいつまでも始まらない。条件に振り回されないことで、心の力を内側の見極めに集めておく。それがこの徳の働きである。

8. 信

信とは何か

師とヴェーダーンタの教えの言葉とを
信頼することである

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

श्रद्धा का ।
गुरुवेदान्तवाक्येषु विश्वासः ।

śraddhā kā ।
guruvedāntavākyeṣu viśvāsaḥ ।

解説

五つめは、信(シュラッダー)である。

師の言葉と、ヴェーダーンタの教えの言葉とを信頼すること。ここでの信頼は、根拠のない盲信ではなく、まだ自分では見届けていない真理を、確かなものとして受け取り、探究を続けるための足場となる信頼である。

真我は目で見ることも手で触れることもできないから、探究のはじめにおいて手がかりとなるのは、教えの言葉だけである。その言葉を「確かめる価値がある」と受け取れなければ、探究はそもそも立ち上がらない。信とは、自分の検証が実を結ぶまでのあいだ、歩みを支える当面の足場である。

だからこの信は、最後まで信のままにとどまることを求められていない。教えの言葉が指すものを自分で見届けたとき、信はその役目を終える。

9. 心の統一

心の統一とは何か

心が一つのところに集まることである

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

समाधानं किम् ।
चित्तैकाग्रता ।

samādhānaṃ kim ।
cittaikāgratā ।

解説

六つめは、心の統一(サマーダーナ)である。

静められ、対象から退いた心を、一つのところへ集め続けること。前の五つで整えられた心を、探究の対象へまっすぐ向け、そこにとどめておく働きを指す。

注釈は、この語をヨーガで説かれる深い瞑想の境地(サマーディ)と区別している。求められているのは特別な意識状態ではなく、聞いた教えを考え続けるあいだ、心が散らばらずに一つの主題にとどまっている、という日常の地続きにある集中である。

これで六つの徳が出そろう。静まり、制御、退き、忍耐、信、統一。心を内に収め、揺れから守り、足場を与え、一点に集める。六つはばらばらの徳目ではなく、探究に堪える心を多方面から支える一そろいの備えである。

10. 解脱を願う心

解脱を願い求めることとは何か

「解脱が我が身に起こりますように」
という願いである

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

मुमुक्षुत्वं किम् ।
मोक्षो मे भूयादिति इच्छा ।

mumukṣutvaṃ kim ।
mokṣo me bhūyāditi icchā ।

解説

四つめの備えである、解脱を願い求めること(ムムクシュトヴァ)が、ここで定義される。

それは「解脱が我が身に起こりますように」という、まっすぐな願いである。ほかの三つが見分け・離欲・心の調えという素地であるのに対し、これは探究へ踏み出させる動機そのものを成す。

離欲によって欲を手放した先に、なお一つの願いが残る、という並びには見かけ上のねじれがある。けれども、この願いが向かう先は、移ろうものの中の何かではなく、移ろいに巻き込まれること自体の終わりである。手放された無数の欲の代わりに、ただ一つ残るこの願いが、探究の全行程を貫く推進力になる。

注釈はこれを、輪廻の苦しみからの離脱を求める心と言い換えている。願いの強さが、そのまま探究の歩幅を決める。これで、探究に先立つ四つの備えがすべて出そろった。

11. 四つの備えの締めくくり

真理を見分けるとは何か

真我こそが実在であり、
それ以外の一切は虚妄である、
と知ることにほかならない

原文(デーヴァナーガリー・IAST)

एतत्साधनचतुष्टयम् ।
ततस्तत्त्वविवेकस्याधिकारिणो भवन्ति ॥
तत्त्वविवेकः कः ।
आत्मा सत्यमन्यत्सर्वं मिथ्येति ज्ञानमेव ।

etatsādhanacatuṣṭayam ।
tatastattvavivekasyādhikāriṇo bhavanti ॥
tattvavivekaḥ kaḥ ।
ātmā satyamanyatsarvaṃ mithyeti jñānameva ।

解説

四つの備えが出そろい、ここから、探究の中身に入る。

真理を見分けるとは、煎じ詰めれば一つの知(ジュニャーナ)に尽きる。「真我(アートマン」こそが実在であり、それ以外の一切は虚妄である、という知である。詩節3では「永遠なる実在はただ一つ、ブラフマンである」と言われていた。その同じ見分けが、ここでは真我を主語にして言い直される。世界の側から見ればブラフマンと呼ばれるその実在を、本書はこれ以後、「私とは何か」という自分の側の問いとして掘り下げていく。

「虚妄」とは、まるごと無いという意味ではない。在るように見えていても、それ自体では立てず、変わり、移ろうために、変わらない実在とは呼べない、ということである。何が真我であり、なぜそれだけが実在と呼べるのか。ここから、その見極めが始まる。