非二元堂
水面に映る月

ハスターマラカ・ストートラ

『ハスターマラカ・ストートラ』は、シャンカラの四大直弟子の一人、ハスターマラカーチャーリヤ(8世紀頃)による十二詩節の讃歌である。各詩節の末尾には、共通の結句——「永遠の気づきを本性とする、その私こそが真我である」——が繰り返される。

鏡に映る顔、水面に映る太陽、揺れる水と動かぬ光。本書はこれら具体的な比喩を重ね、個我が意識の影像にすぎないこと、そして真我がつねに限定を超えた純粋な気づきであることを、詩節ごとに角度を変えながら解き明かしていく。

書名について

「ハスターマラカ」は「手のひらのアーマラカ果」を意味する。アーマラカ(アムラ果)は手のひらに乗せれば一目でわかる。自己の本性もそれと同じく、いま・ここに・あからさまに明らかなものだ——本書はその確信を十二の詩節で謳い上げる。

ハスターマラカーチャーリヤはシャンカラの四大直弟子の一人で、ドヴァーラカー・ピーシャ(シャーラダー・マタ)の初代とされる。伝承によれば、幼くして言葉を話さなかった少年が、シャンカラの問いに対して真我の本性を詩節で即答したのが本書の起源とされる。

本文より(抜粋)

以下は全十二詩節のうちの3節です。完全版では、サンスクリット原文・IAST転写・詩節ごとの解説・用語集を収録しています。

3.

鏡に映る顔は、
顔そのものとは別の、
独立した実体ではない

知性に映った意識の影として現れる
個としての私もまた、それと同じ

永遠の気づきを本性とする、
その私こそが真我である

5.

心や眼から離れて、それ自身は
心や眼に捉えられぬまま

しかも、心の奥の心、
眼の奥の眼として、それらを働かせるもの

心や眼には決して届かない、
そういう本性をもつもの

永遠の気づきを本性とする、
その私こそが真我である

9.

一つの太陽が、揺れる水には揺れて映り、
静かな水には静かに映りながら、
そのどちらにも関わらないように

揺れ動き、ちぎれ分かれた知性のうちに映りながら、
それらに少しも染まらぬ、ただ一つのもの

永遠の気づきを本性とする、
その私こそが真我である

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ハスターマラカ・ストートラ 永遠の気づき 表紙

全十二詩節の和訳に加え、サンスクリット原文・IAST転写・詩節ごとの解説・用語集を収録した完全版。Kindle版と紙の本からお選びいただけます。

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